ピンの部屋
(竹内 和芳)
フランス滞在記
70歳のパリ
古稀をはさんで足掛け4年、この歳での思いもよらなかった仕事がらみのパリ暮らしでした。中学生の時ラジオから流れてきたシルヴィー・ヴァルタン「アイドルを探せ」の歌声に興奮し、50数年前の学生時代、伝わってくる「パリ5月革命」のニュースに何かを感じ、ブルトン、バタイユ、レリス、メルロ・ポンティ、ポール・ニザン、サルトルなどの本を買い集めるうち、すっかりフランスかぶれになってしまいました。一時期ニューヨーク、北京・上海に浮気したこともありましたが、文学、思想、映画、シャンソン、ワイン、ちょっとした雑情報まで、フランスのことならなんでもOKでした。短い休みを取って何度か出かけたパリでは、本屋を巡ったり、ブックフェアを見学したり、観光での月並みな滞在も楽しみました。遅れて始めたフランス語は、取りかかっては止めで一向に進歩しませんでしたが、晴れた日の戸外、木洩れ日を浴びながらフランス語の辞書を引くことを老後の楽しみと思い定めたこともありました。
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今回実際に住んでみて、あらためて日本に引けを取らないかなり減り張りの利いた季節の流れを感じました。
到着した1月半ば、厳しい寒波が押し寄せ、気温マイナス10度から0度を推移する日が続きました。晴れると太陽の光が銀色に輝き、ピリッとして心地よく、身が引き締まります。1月下旬、欧州最大の国際漫画フェスティバルが、フランス南西部の都市アングレームで開催されます。 黄色いミモザの花が花屋の店頭に並んで春の訪れを告げると、3月半ば過ぎは、パリ国際ブックフェアです。葉を落とし裸だった街路樹が、ある日突然、一斉に緑をまといます。 幸せをもたらすというスズランの花が街中で売られる5月1日を過ぎると、夏に向かってとても気持ちのいい時期です。マロニエが赤みを帯びた白い花をつけ、日は長くなり、夜11時過ぎまで明るさが残ると、1日をずいぶん得をした気になります。 7月上旬、パリ郊外展示場でのマンガ・アニメの祭典ジャパン・エクスポも恒例になりました。日本で言うパリ祭、カトルズ・ジュイエ(7月14日革命記念日)は、シャンゼリゼ大通りでの軍事パレード、夕方シャン・ド・マルス広場の無料コンサートに続いてエッフェル塔の花火、広場を埋め尽くした人々は、暗くなるのを辛抱強く待ち続けます。それが過ぎると長いバカンス・シーズン。パリの主だった店、レストランなどが閉まり、街中は閑散とします。昨年7月、パリでの史上最高気温42.6度を記録しました。普段は夏も比較的涼しく、一般家庭にクーラーの普及していないパリは大変です。 9月のラントレ(新学期)、人も戻ってきて書店店頭はラントレ・リテレール(文学書中心のフェア)商品で埋まります。秋の色が濃くなり、じき枯葉の季節。 11月にはゴンクール賞を初め、数々の主だった文学賞の発表。そして日が短くなり、夕方4時半を過ぎるともう真っ暗、陰鬱な長い冬に入ります。冬こそが本当のパリだという人もいて、これにも納得でした。 |
おっとこの調子ではすぐに紙面が尽きそうです。何しにパリへ?でした。マンガ、アニメ作品を、フランス、ドイツを中心に、全ヨーロッパ、中近東、中南米、北アフリカへ展開する仕事に就き、パリ、ベルリン、ローザンヌ、総勢150人くらいのメンバーで取り組みました。また、たまたま出かける3年くらい前から『出版ニュース』(19年3月休刊)に月一回「海外出版レポート・フランス」を寄稿していたこともあって、現地の出来事を織り込みながら原稿を送れるようになったのも刺激的でした。
生活上のあらゆることをすべて自分でする、一人暮らしの幸せに震えながら始めた新生活。シャルリー・エブド、バラクタン劇場など、イスラム国関連テロ事件の直後で、緊張も走っていました。 いろんなことに出くわし、たくさんの体験がありましたが、その中のいくつか。いきなり目の前で展開された大統領選では、39歳のマクロン新大統領の誕生、夫人ブリジットは24歳年上の高校時代の先生というのも驚きでした。オランピア劇場とグラン・REXで、2度のシルヴィー・ヴァルタンのコンサート、メゾン・ド・ラジオ‐フランスでオーケストラ付きジェーン・バーキン。そして何度か訪れたシャンソニエ、オ・ラパン・アジル。コメディー・フランセーズ、オペラ・ガルニエ、オペラ・バスティーユ、フィルモニー1、ムーラン・ルージュなどなど。式典、イベント、その他で、折にふれ、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」が流れます。サッカー、ワールドカップでの20年ぶりフランスチームの優勝で街は何日も大騒ぎでした。「パリ5月革命」50周年を現地で迎え、様々の回顧展に足を運び、新聞・雑誌の特集記事、単行本を買い求めながら、感慨深いものがありました。パリ・ノートルダム大聖堂の火災も忘れられません。 著名人の墓に出会える墓地巡りは楽しく厳粛で、モンパルナス、ペール・ラ・シェーズ、モンマルトル他、何度となく出かけました。在仏中、テレビで知り、新聞・雑誌で確認した訃報の数々。ジャンヌ・モロー、ミレーユ・ダルク、ジャン・ドルメッソン、ジョニー・アリディ、シモーヌ・ヴェイユ、シャルル・アズナブール、ジャック・シラク、クリストフ。その中の一人、大好きで、長年追っかけをしていたジャンヌ・モロー、享年89。大変な読書家で、ベンヤミン、アポリネール、ジョイスが枕頭の書。「子供の頃父親に家での読書を禁止され、安い蝋燭を買い隠れて読んでいたため、鼻の穴が真っ黒になった」と笑いながら語ったというエピソードを『ル・モンド』で読みました。たまたま入ったモンマルトル墓地で、偶然、出来あがったばかりと思われる彼女の墓に出くわしました。呼ばれたとしか思えません(笑)。 |
仕事の方、かなりハードでしたが、何とか役目を果たせました。何よりも、カフェに座り、行きかういろんな人達をぼんやり眺めた時間が一番。そしてフランスは、国が、社会が、文化、そして本に対しても、深いリスペクトをもって動いていることをいろいろな局面で強く感じました。
人気の絶えたエッフェル塔 フランス最後の2か月半はコロナ騒動による、自宅待機、外出制限が続きました。3月15日からは、レストラン、カフェ、映画館などもすべてクローズ。日々更新の外出許可書の所持を求められ、移動制限のかかったパリの街。それに素直に従う人々の姿は、直前までの50日近かった交通ゼネストや、今も続いているエスタブリッシュメントへの反撃の「黄色いベスト運動」との対比で、興味深いものでした。
フランス現地で暮らせばフランス語も少しは上達するのではと思っていた望みもはかなく潰え、「最後の1,2か月は、ゆっくり旅行でもして」と言っていただいた送り出し先のご好意も、コロナのせいで台無し。日本入国に当たっては、空港でPCR検査、2週間の自宅待機の要件をクリアして、晴れて日本の居住者に返り咲きました。コロナ特別定額給付金受給には、タッチの差で間に合いませんでした。(2020 9 20) |